大工の父の姿を見ながら成長し、将来なりたい仕事は大工さん。当然のようですが、工事現場を見ることも多かったと思います。地元三田学園に進む中、初めから建築の仕事にまっすぐというわけでもありませんでした。当時3万人から20万人に人口が増える三田市のニュータウンを目の前に、今から思うとおかしいのですが、美容師になろうかなんてことも考えました。
手に職をとは考えていましたが、やはり親の仕事を見ているのもあって、工業系大学に進みました。
当時はバブル真っ只中、1人の求人に20倍もの倍率がつく中、ハウスメーカーに進むと決めていたのですが、ようやく「自分や周りの将来を決める大切なことだから、安易に考えてはダメだ」と思うようになり、
結果として、神戸に本拠地を置く木造も手がける会社に就職し、鉄筋コンクリートや木造などの住宅を担当してきました。
就職をして3年ほど経ち、少しずつ建築の全体が見えつつあった時、阪神淡路大震災が起こりました。幸い神戸市北区や三田周辺はそれほど大きな被害が多くはなかったものの、その修繕に忙しく走り回る父をみていたのもありましたし、「これまでの仕事はここでもできる」という思いもあり、その年の4月から父の手伝いをする事を決めました。
当時は三田でのニュータウン開発が進んでおり、このままでは大手メーカーに街のほとんどを持っていかれるなという危惧もありました。
地元の建築を担うものとして、単に大工が建てた家というよりも、「自分が本当に住みたい」と思える住宅を建てなければ生き残れないと感じていました。
これからたくさん移り住んでくるこの地域の人々全てに共感いただける住宅を作るのは難しい。しかし、私たち建築を楽しむ者と一緒に、素材や住宅のあり方を考えてくれる共感者はいるはずだと感じ始めたのもこのころからでした。