阪神大震災を機に、地元中堅ゼネコンからあかい工房へと戻った当時から、父親は今思えば寛容に見守っていてくれていたように思います。
三田のニュータウンを始め、旧市街地まで大手メーカー系の住宅の建築が目立ち始めたころだったと思います。地元の後継者のいない工務店や大工職人たちに対して、メンテナンス等の受け皿になるから顧客を私たちに紹介して欲しいと交渉して回りたいと父親に相談しました。
父親はそんな相談にも「好きにしたらいい」と了承してくれ、60代、70代の地元の大工さんを説得しました。
しかし、私の持っていた町並みに対する危機感は伝わらず、結局1人の顧客も紹介してくれることはありませんでした。
先は見えていたのですが、旧市街地にも大手メーカーの住宅が立ち並び始めました。
それは、阪神大震災で瓦葺の木造建築が多く倒壊したと言うイメージから木造は弱いと言う誤った認識、そして地元工務店がこれまで建ててきた和風建築に魅力を感じなくなった消費者が多くなったのも大きいと思います。
そこで焦った工務店は目新しさを追いかけ、新建材や既製品を使うようになり、さらに魅力が減ったように思います。
そんなころ、昭和の時代を引っ張ってきた巨匠建築家の元で修行をし、独立をした同世代の建築家たちとの出会いがありました。
彼らは木造を得意としていたこともあり、私も前職のゼネコンにて設計士の物件をすることに慣れていたので、すんなり「デザイン」を取り入れることができました。
それまで平面図だけを見て家を建てられていた職人が、ディテールを気にしながら『図面』をみて建てていくことに、始めは戸惑いもあったと思いますが、これによって様々な納まりのディテールや建築のあり方を考えるようになりました。
会社に戻った時から「これからの事は、これからの者が」と、事業の承継に関してもスムーズであったと思います。
私はよく「数値で住む家は嫌です。」と言います。
そういう我々も、過去には数値にこだわった高気密高断熱の家や建売住宅も建てました
そして、建売住宅は良くも悪くも、建物自身は関係ないのだと感じました。その土地に3LDKなどの間取りで、ローンが組めて住めればいい。建築としてどうということはそれほど重要ではないように、私には思えました。
長い間、試行錯誤しながら自分たちの建築を考えました。
当然弊社でも、基本的な性能は確保した上でのことですが、四季のある日本において、窓をあけて気持ち良く過ごしたいと考えています。
数値にこだわるよりも、里山や季節を感じる雰囲気、なんとなく長居してしまう計れない居心地の方が大切だと思っています。湿気の多い日は、表面をコーティングされた建材の上では、ジメジメしますが、無垢材の上では心地よく水分を吸放湿してくれる。こうして快適に日本の四季を感じられる建築が良いと思っています。
そして、建築は町並みにとっても重要な存在です。旧市街地に四角い箱が立ち並ぶのはやはり変だと思います。その町並みや風土、地域を構成する「普通の建築」を守る。奇抜さを追い求めるのではなく、あえてその「普通である」ことのかっこよさを、少しずつでも伝えていきたいと思っています。
試行錯誤しながらも、少しずつ自分たちの建築を進めてこられたのも、父親が残してくれた土台があったからだと思います。
その意味では私はいいとこ取りだと思っています。父親の代から付き合っている地元の職人とチームを組み、「責任を持って我々の建築をしよう」と考えています。
長く付き合っている息のあったチームであるからこその仕事と、お客様との出会いから契約までの経緯や、お客様の好みや趣向などの情報を共有しているからこそ共感を呼ぶ、地元にもお客様にも馴染む建築を一緒に作り上げていきたいと思っています。
皆さま、今年は大変お世話になりました。これからも心地よい建築ができるよう邁進いたします。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
有限会社 あかい工房 代表 赤井一隆